~取り壊される校舎での最後の思い出づくりを~小学校向けサポートプログラム 校舎の思い出 プロジェクト

実施事例中野区立大和小学校

2017年2月24日~28日に、中野区立大和小学校にて、「校舎の思い出プロジェクト」を実施しました。

中野区立大和小学校の先生にお話を伺いました

小学校の歴史について教えてください。

佐藤校長先生

昭和15年11月1日。大和小は、「東京市大和尋常小学校」として誕生しました。開校当時から、大和小は地域の人に愛されてきました。当時、妙正寺川沿いのこの辺りはジャガイモ畑でした。そこに忽然と赤い屋根瓦にクリーム色の校舎が現れ、「たいへんモダンな建物だ」と評判になったそうです。
翌昭和16年。「東京市大和国民学校」と名前が変わりました。そして戦争が始まります。戦争で空襲が激しくなると、子供たちは福島県へ学童疎開しました。空襲から逃れるため、家族と離れ、先生や友達と一緒に福島県で生活しました。
戦争が終わった昭和20年、再び校名が変わります。今に続く「中野区立大和小学校」となりました。年月とともに、学校も整備されました。赤い屋根瓦の木造校舎は、今の鉄筋校舎に変わり、プールもできました。昭和52年には、現在シンボルツリーと呼ばれている菩提樹が植樹されました。
そして、平成29年の3月。中野区の学校再編事業により閉校となり、大和小は76年の幕を閉じました。この76年間に8,326名の卒業生を送り出してきました。また、3月時点での在校生を加えますと、約8,500名を超える子供たちが、大和小で学んできました。

「校舎の思い出プロジェクト」を行うことになったきっかけについてお聞かせください。

きっかけは3つあります。
1つめは、平成28年度、PTA役員さんが私に、「校舎に子供たちが絵を描いている学校があります。うちの学校でも、こんなことができないでしょうか」と、おそらく「校舎の思い出プロジェクト」に参加された学校であろうと思われる新聞記事を見せてくれたことです。
2つめは、その後、私が出張した学校に、偶然にも「校舎の思い出プロジェクト」に参加された学校が2校あり、子供が描いた実際の壁面やその関連写真を見たことです。それにより、私自身、「閉校前に、この取組を子供たちとやってみたい」という思いを強くしました。それで、教職員・PTA役員に、その旨を提案したのです。
3つめは、児童代表委員会を担当している教員から、閉校にあたり、こんなことをやりたいという子供の企画の中に、「校舎に絵を描きたい」というものがある、との話を聞いたことです。それで、担当の教員と相談し、6年生の代表委員の子に校長室に来てもらい、代表委員会の要望を聞きました。それで、「校舎に絵を描く」ということはできるとの話を私からしました。
以上3つのきっかけ、子供・保護者・学校それぞれの思いが1つに融合し、「校舎の思い出プロジェクト」を行うことになったのです。

「校舎の思い出プロジェクト」のサポートプログラムはいかがでしたでしょうか。

こちらの思った以上のサポートでした。過去に、多くの学校で実施してきたノウハウがあるので、絵具などの量、描く場所などの相談を安心して行うことができました。

特に印象に残っているエピソードなどあれば教えてください。

全校朝会でこの話題を取り上げた時のことです。
2月某日の全校朝会。この日の全校朝会は、6年代表委員の子供と私とでジョイントして行いました。最初、6年代表委員が、閉校のイベントで「ありがとう大和小カラフルペイント大作戦」(命名、児童代表委員会)を行うという話をしました。それを受け、私が体育館のスクリーンに、パワーポイントを使って「ありがとう大和小カラフルペイント大作戦」のプレゼンテーションを行いました。スクリーンに写したのは、過去実施された「校舎の思い出プロジェクト」に参加された学校の壁画や子供たちの様子です。実際に絵を描いている様子を代表委員の子がカメラで撮影する、ということも話しました。私としては、子供たちに壁画のイメージづくりをしたかったのです。
壁画を写した瞬間、低学年から「えーっ!そんなことしていいの?」と素朴な声が上がったことは忘れられません。

壁画のテーマはどのようにして決められたのですか。

テーマは各学年の担任の先生にお任せしました。イベントが代表委員会の提案でもあるので、それぞれの学年・学級で、子供たちとテーマを話し合って決めました。
目の前に「閉校」が迫っている時期だったので、「大和小の思い出」「大和小の四季」「大和小で好きな場所」「思い出の行事」などがテーマとなったようです。
どの学年も、シンボルツリーである菩提樹は描いていました。6年生は入学式から卒業式までの四季や60周年記念から歌い継がれてきた『夢をのせて』という曲のスコアを、5年生は軽井沢移動教室の風景なども取り上げ、描いていました。4・5年生は、大和小を愛し、誇りに思うという意味での「大和魂」という言葉も描いて、微笑ましかったです。
全般的に、大和小や校舎に対して「ありがとう」という感謝の壁画やメッセージが校舎のあちこちに出現しました。

学校の壁という本来描いてはいけない場所に、初めて子供たちが描いていくときはどのような反応でしたか。

最初の一筆めは、こわごわといった子もいましたが、一度描いてしまえば、後はのびのび楽しんで描いていました。とにかく、1年生から6年生まで、楽しそうに(実際、「楽しい!」と言っていました)描いていました。
テーマを決めて描いていたので、いたずら書きにはならず、とにかく、みんなで共同作品を作るんだという意識をもって描いていました。「本来描いてはいけない場所」に描くという非日常的なスリル感だけでなく、そんな共同制作の楽しみもあったように思います。

子供たちが撮影した写真をご覧になって、いかがでしたか。

一言、「面白い」と思いました。また、「なかなかやるなあ」と思いました。面白いアングル(視点)で撮影された、しかも上手な写真を観て、そのような感想を抱きました。今回は学校の都合上、児童代表委員の子供だけが、カメラマン役になったのですが、カメラでの撮影は、子供の表現力を高めるための教育ツールになると考えました。
できあがった作品を撮るだけでなく、仲間が創っている作品づくりの活動を撮るということが、たいへんよかったです。

児童や保護者の皆さん、地域住民の方の反応はいかがでしたか。

大好評でした。本校の場合、PTAの方が休み時間、放課後と関わってくださったのですが、期間中の土曜日1日だけは、PTAだけでなく、地域の方にも校舎の正面玄関を壁画の場所として開放しました。当日は、PTA・おやじの会・地域の方・卒業生、そして子どもたちが集い、楽しんで壁画を描いていました。閉校を前に、一人一人の方が校舎に思いを馳せ、絵やメッセージを描いていたように思います。

今回すばらしい機会を与えてくださり、たいへん感謝しております。閉校という大きな節目に、子供たちにとてもよい体験、思い出づくりができました。

プロジェクト作品

大判プリント作品

大判ポスター
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