キヤノンギャラリー青木 紘二 冬季オリンピック報道の世界-1984 サラエボから2014 ソチまで-

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本展は、夏・冬計17回のオリンピックを撮影してきた写真家、青木紘二氏の写真から冬季オリンピックの写真を集めた報道写真展です。青木紘二氏は1976年からプロカメラマンとして活動をはじめ、以後現在も撮影の現場に立ち続けています。その写真には、スポーツ報道という事実だけでなく、選手の思いや観衆の感動すら伝える力があります。1984年のサラエボから2014年のソチまで、四半世紀以上写してきた冬季オリンピックの軌跡は、来る平昌に繋がります。

開催日程 会場
2017年11月30日(木)~2018年2月3日(土)
  • 日・祝日、年末年始12月29日(金)~1月4日(木)は休ませていただきます。
キヤノンギャラリー S(品川)
  • 2017年12月16日(土)13時30分~
    キヤノンホール Sにて講演会を開催します。

講演会開催のご案内

「オリンピックと写真と私」のテーマのもと、青木紘二氏が講演致します。

作家メッセージ

そして平昌(ピョンチャン)へ―
オリンピックという言葉を初めて知ったのは、小さい頃父からオリンピックで、猪谷千春選手が銀メダルを獲ったと教えてもらった時です。冬には屋根の雪降しをして、その雪で屋根続きの滑り台を庭に作って遊んでいた子供にとって、アルペン種目のスラロームでの銀メダルは何かすごい事のように思えました。そのすごさが現実になったのは映画館で観たニュース映像(TVがない時代は映画の前にニュースが流れた)だと思います。全日本選手権だったと思いますが、猪谷選手が一度尻もちをついたにもかかわらず優勝。尻もちをついても優勝できるオリンピックのメダリストの実力に圧倒されました。近年猪谷さんにこの話をしたところ、ご本人にとっては納得のいかない滑りだったような表情でしたが。
1976年に広告撮影と報道撮影のプロカメラマンとして活動をはじめました。憧れのオリンピックも簡単にプレスカードがもらえると思っていたら、大間違い。寂しい財布をはたいて高いチケットを購入し会場に入ってみたら、憧れの被写体は50mも100mも向こう側。当時は200mmくらいのレンズしか持たず、選手は豆粒状態。やっとの思いで初めて正式に撮影できたのは1984年の冬季サラエボオリンピック。スポーツメーカーの仕事がメインでアルペン種目以外はスケジュールに隙間がある時だけの撮影でしたが、夢のような毎日でした。冬季、夏季共続けてオリンピックに行けるようになったのは1990年のフランス、アルベールビルオリンピック以降。1998年の長野オリンピックでは私の会社が長野オリンピックの公式写真エージェントに選ばれ、それ以降、夏季、冬季共オリンピック公式写真集の編集と制作を続けさせてもらっています。
普段は会社での仕事が中心で撮影不足になりがちな私にとって、オリンピックは会社の仕事を忘れ、朝から夜まで撮る事だけを考えて過ごせる極上の日々。一番大事な仕事である良い報道写真を撮るということを忘れてはいけないが、チャンスがあれば自分なりの映像を切り取りたいと狙っている。いつまでたってもオリンピックをやめられないのは、やれるだけの事はやったという心の充実感と相反して(自分の能力とセンスの足りなさとは思いたくないので近年の撮影練習不足と思いたいが)、ああすれば良かった、こうすれば良かったという後悔心と、この次はもう少し上手く撮ってやるぞという諦めの悪さがあるように思います。それに何といってもオリンピックが大好きなのです。
普段報道では選手の活躍を中心に雑誌などに掲載されているので、今回の写真展は少々感動シーンが少ないかも知れませんが、私が好きな写真を中心に選ばせて頂きました。さあいよいよ2月は平昌(ピョンチャン)オリンピックです。
今度はさらに良い写真が撮れますように!

プロフィール

青木 紘二(あおき こうじ)

富山県出身。ただ単に趣味であった映像で生きようと1976年にカメラマンとして仕事をはじめる。語学力を生かした海外撮影、コマーシャル分野の仕事をはじめたが、後に出版分野にも幅を広げる。オリンピックの撮影は、夏冬あわせて17大会を数え、ライフワークとして長年撮影している。1998年長野オリンピックでは組織委員会オフィシャルフォトチームのリーダーとして活動。2017年3月、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会フォトチーフに就任。株式会社アフロ代表。

著作権について
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