坪内 隆直 写真展:我が愛するドンキホーテ達
本展は、モーターサイクルスポーツ写真家の坪内隆直氏による、国際モーターサイクリズム連盟(FIM)主催のロードレース世界選手権60周年を記念した写真展です。
1970年代より幾多のサーキットに通い、モータースポーツと真摯に向かい合ってきた坪内氏は、フルスロットルでオートバイを駆るライダーたちを、セルバンテスの描いた「ドンキホーテ」になぞらえました。常に生命の危険が付きまとう高速の2輪レースに身を投じることは、一見変わっていて、普通ではないことかもしれません。しかし、人生を懸けて自分の信じる道を突き進むレーサーの姿に、坪内氏は素朴な人間像、すなわちドンキホーテを見出しました。今回は、ケニー・ロバーツをはじめ、ジャコモ・アゴスティーニやフレディー・スペンサーら往年の名ライダーたちからうかがえる人間らしさを巧みにとらえた写真100点余りを展示します。
なお、展示作品はすべてキヤノンの大判プリンター「imagePROGRAF」でプリントします。
開催日程
| 2008年9月19日(金)~10月21日(火) | キヤノンギャラリー S(品川) |
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作者メッセージ
世界一の砕氷船を造りたい、と造船技師を目指していた高校時代、ロバート・キャパの写真展に感銘を受け、報道写真家を志した。しかし、自らのキャンパス、江古田での日大闘争を目の当たりにして、報道写真に対する信頼を失う。失望の日々の中から、少年時代から好きだったモータースポーツを題材に撮影を始める。F1やルマン24時間レースを撮影する為に渡欧を繰り返した。
2輪スポーツは、食扶持で始めた仕事だったが、時を空けずにのめり込んで行った。
華麗で豪華になる一方の4輪スポーツとは違い、そこには少年時代からの憧れを追う者や、生活を支えながら奮闘する人間臭い選手達がいた。
サーリネンの死。初めての2輪世界GP取材に旅立った日、憧れの人は他界した。
デイトナでレースを熱く語ってくれた隅谷さん、そして石川選手の死。
悲しい思い出にまみれながら、時代の流れのなか華やかになる一方のGPの世界だが、還暦を迎えた今もまだ、「我が愛するドンキホーテ達」を追い続けている。
まるで、あのサンチョ・パンサのように。
講演会
| 日時 | 2008年9月20日(土) |
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| 会場 | キヤノン S タワー 3階 キヤノンホール S |
プロフィール
坪内 隆直(つぼうち たかなお)
略歴
| 1948年 | 神奈川県横浜市生まれ。 |
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| 1966年 | 私立麻布学園高など学校卒業、日本大学芸術学部写真学科入学。 |
| 1970年 | 日本大学芸術学部写真学科卒業。 |
| 1972年 | 札幌冬季オリンピックを二村保氏の助手として取材。写真家、二村保氏に師事。 独立して渡欧、F1フランスGP、ルマン24時間レースなど、4輪レースを取材、4輪専門誌『オートテクニック』に発表。 |
| 1973年 | ホンダの契約ライダー、隅谷守男氏を追って「デイトナ200マイル」を取材、世界選手権ロードレースGPなどの2輪レースと、F1などの4輪レースを取材、2輪レース専門誌『サイクルサウンズ』や4輪誌『オートテクニック』などに発表。 |
| 1975年 | 日本写真家協会会員となる。 |
| 1977年 | 日本で初めてのF1開催に合わせて、月刊『プレイドライブ』から出された臨時増刊号『F1グランプリ』の写真を担当。 |
| 1978年 | 月刊2輪スポーツ専門誌『ライダースクラブ』チーフカメラマンとなる。 |
| 1980年 | 写真集『我が愛するドンキホーテ達』をライダースクラブから出版。 |
| 1983年 | 2輪月刊誌『サイクルワールド』のチーフカメラマンとなる。 写真集『二輪戦士・片山敬済』を株式会社飛鳥新社から発行と同時に、銀座キヤノンサロンなどで、同名の写真展を開催。 |
| 1984年 | 株式会社ヴェガインターナショナルを設立。 |
| 1985年 | 株式会社ヴェガインターナショナルから、2輪の世界選手権ロードレースGP専門月刊誌『グランプリ・イラストレイテッド』を創刊。 |
| 1987年 | 平忠彦氏の世界GP250cc優勝を記念した『平忠彦―きらめく汗のむこうに』を角川書店より発行。 |
| 1989年 | 経済的理由で、「グランプリ・イラストレイテッド」を年鑑に縮小する。 |
| 1992年 | 日本のホンダ、スズキ、ヤマハと、イタリアのカジバの4社が、世界選手権ロードレースGPでのメーカーの権益を保護する為、グランプリ・マシン製造会社協会(GPMA)が設立され、事務局長となる。 |
| 1994年 | 日本スポーツプレス協会会員となる。 |
| 1996年 | 国際スポーツプレス協会会員となる。 |
| 1997年 | 栃木県茂木町に設立した、株式会社ツインリンクもてぎのツインリンクもてぎ共済会副理事長に就任。 |
| 2001年 | GPMAは拡大し、世界選手権ロードレースGPの他、世界選手権スーパーバイクレースに参加するメーカーを加え、日本のホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサキと、イタリアのアプリリア、ドゥカティの6社で、モーターサイクル・スポーツ・マニュファクチャラーズ・アソシエーション(MSMA)と改名、事務局長を継続。 |
| 2002年 | 天才GPライダー原田哲也氏の写真集『TETSUYA31』をエキスプレスより発行。 デジタルフォト写真展「雨・泥・闇・晴」を東京銀座のキヤノンサロンを皮切りに、全国キヤノンサロンで6月から9月にかけて、木立治氏とともに開催。 |
| 2003年 | MSMAに、モトクロスなどのオフロードに参戦する、ハスクバーナ、KTM両社が加入し、世界8社の加盟する団体に成長、事務局長を継続。 |
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