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トップ > imagingS 「記憶に刻まれる一瞬」 フォトグラファー 奥井隆史さん
© Takashi Okui
誰が撮った写真か分からなくてもいい。人々の記憶に鮮やかに刻まれる。そんな写真を撮りたい──。そう奥井隆史さんは言う。
家にあった父のカメラを手にしたのは中学生のころ。高校3年で写真家になる志を立て、写真の専門学校に入った。最も興味があったテーマはスポーツだった。毎日のようにアメリカンフットボールやサッカーの競技場に足を運び、シャッターを押し続けた。
最初の壁にぶつかったのは、卒業後にスポーツ写真のフォトエージェンシーに入社したときだ。
「自分は何も撮れないことに気付かされました。うまく撮れたつもりになっても、先輩たちの写真と比べると雲泥の差があるんです。技術の面でも、対象に向かう気持ちの面でも、まったく駄目なことを思い知らされました」
奥井さんは「撮れる」という言葉を独特の意味合いで使う。被写体を「撮る」こと自体は、カメラさえあれば誰にでもできる。しかし、自分だけの感性、自分だけのアングル、自分だけの距離感で写真が「撮れる」のは、長年の経験を経た一流のカメラマンだけ──。それがプロの写真家となった奥井さんが最初に学んだことだった。
「その場で起きていることを瞬時に切り取るのがスポーツ写真です。それができるようになるためには、技術だけではなく、感性を徹底的に磨かなければならない。そう思いました」
現場で技術と感性の訓練を続け、4年後に独立した。テーマを陸上競技に定めたのは、「生身で打ち込む点に引かれたから」だ。身にまとうのはウエアと靴だけ。投てきや棒高跳びを除けば道具は一切ない。チームプレーもほとんどない。身一つで敵と戦い、自分自身と戦う。それが陸上というスポーツの一番の魅力だと奥井さんは言う。
これまで、国内外の数々の大会を撮影してきた。最近では、あえて選手が特定できない写真を撮ることも多い。1枚目の写真もそんな一枚だ。スタートポジションに着く選手が誰かは分からない。ピンと伸びた指と腕だけが、決戦直前の張り詰めた空気を伝える。あえてモノクロにし、余分な情報を全て剥ぎ落とすことで、その瞬間の空気感を表現することに成功している。
2枚目、3枚目の写真もまた、匿名的でありながら、競技の直前、あるいはそのさなかの凝縮された濃密な空気を見る人に伝えている。
独立して20年。多くの観客が注視する戦いの光景の中から、自分だけの「作品」を切り取っていきたい。今、そう強く感じている。表現者としての次の長いレースのスタートラインに、彼は今立ったところだ。
奥井 隆史(おくい たかし)
1968年、東京都生まれ。92年、日本写真芸術専門学校卒業後、スポーツフォトエージェンシー「フォート・キシモト」に所属。96年からフリーに。陸上競技のほか、アウトドアスポーツやフィッシングなどを含め、さまざまなスポーツの撮影を手掛ける。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。カメラバッグのブランド「シンクタンクフォト」のアンバサダーフォトグラファーも務める。