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  • 2019.09.01

カメラを持ってボーダーの向こうへ 写真家 渋谷敦志さん


© Atsushi Shibuya

自分と他者、その境界線みたいなものを越えていきたい

© Atsushi Shibuya

「15歳の頃、父が持っていた『EOS1000』を使って写真を撮り始めました。才能があるとか、周りの人から褒めてもらって喜びながらも、自分の腕というよりカメラのおかげということもどこかで分かっていました」と、笑いながら話す渋谷さんは、その頃からカメラと共に生きてきた。17歳の時、報道写真家の一ノ瀬泰造氏に関する書籍『地雷を踏んだらサヨウナラ』を読んで衝撃を受け、写真家になることを心に決めた。

「その頃"僕には『EOS1000』もあるし、写真家になれる"と思い込んでいたんです」。心を打つ出来事と家にあるカメラが、若い彼の背中を押した。

「当時は写真がやりたいというより、冒険に出たかった。カメラは、僕の世界を広げてくれる道具だったんです」

初めは"自分は世界をこう見ているんだ"という、主体的な目線で撮影していたが、撮り続けるにつれ、写真に対する心構えに変化が起きた。

「今は何かを伝えたいというより、写真は僕にとってコミュニケーションなんです。実際にそこに行き、人と出会い、関係をつくらなければ写真は出来上がらない。写真家として、常に新しいコミュニケーションの形を模索しています」

これまで80カ国以上を飛び回ってきた。初めてミャンマーを訪れて撮影したのが、1枚目の写真だ。鮮やかな色と、そぎ落とされた佇(たたず)まいに引かれシャッターを切った。普段はモノクロで撮ることが多いが、カラーでこそ彼らの日常を表現できると感じた。同じく色鮮やかな瞬間に心奪われたのが、2枚目の出家を祝う姿を捉えた写真。広角レンズで被写体に寄って撮影した。

「撮影する時、被写体との距離の近さに驚かれることがあります。望遠レンズならば、簡単に物理的距離も越えられるけれど、レンズの便利さに"使われてしまう"気がして、あえて広角を選んだんです。自分と他者の境界線みたいなものを越えていきたくて」

たくさんの国に足を運ぶ中で、アジアは無理せず混じり合っていける。特に、ミャンマーの人たちはすぐに旅人を受け入れてくれたと語る。肩の力を抜き、気を張らずに撮った一枚が3枚目の市場の写真だ。

「活気があり、まるで舞台を撮っているかのようでした。サービス精神からカメラ目線でポーズを取ってくれるので、逆に彼らがふと素に戻った瞬間を狙って切り取りました」

意図しない偶然性が写り込む、それを受け入れる余白を写真家側が持っているかどうか、そこを大切にしていると語る渋谷さん。これからも境界線を越えた旅は続いていく。

  • 写真:渋谷敦志さん

    渋谷敦志(しぶや あつし)
    1975年大阪府生まれ。立命館大学在学中に1年間、ブラジルの法律事務所で働く。その傍ら、本格的に写真を撮り始める。大学卒業後、報道写真家として活躍。99年国境なき医師団主催のMSFフォトジャーナリスト賞、2000年日本写真家協会展金賞を受賞。出版作品に『回帰するブラジル』(瀬戸内人)、『まなざしが出会う場所へ―越境する写真家として生きる』(新泉社)、『みんなたいせつ』(岩崎書店)などがある。

  • 主な撮影機材

    • 写真:EOS R

      EOS R

    • 写真:RF35mm F1.8 MACRO IS STM

      RF35mm F1.8 MACRO IS STM

    • 写真:RF24-240mm F4-6.3 IS USM

      RF24-240mm F4-6.3 IS USM

    EOS 製品情報

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