カテゴリーを選択
トップ > シゴトの哲学 [Vol.1] 歌舞伎役者 坂東巳之助さん
『寿靭猿(ことぶきうつぼざる)』で小猿役を演じたのは6歳の頃。それが歌舞伎役者「二代目坂東巳之助」としての仕事人生のスタートだった。その後、学業と舞台の仕事を両立させながら、役者の道をひと筋に歩んでいた彼に大きな変化が訪れたのは、15歳の時である。
「これが本当に自分のやりたいことなのかな──。幼い頃から抱いていたそんな疑問が、その頃一気に噴き出したんです。稽古にも全く身が入らず、巳之助の名を一度置いて、歌舞伎を離れることにしました」
坂東巳之助さんは、苦しんだ日々をそう振り返る。人は誰しも「職業を選択する」という過程を経て、仕事生活に入っていく。しかし、歌舞伎の家に生まれた自分にその機会は与えられなかった。自らの意志で自分の人生を選ばなければ、この先駄目になってしまう。そんな考えで頭が一杯だった。
まとっていたものを全て捨て、身一つになる時間を通してたどり着いたのは、「自分がやりたいのは、やはり歌舞伎だ」という答えだった。思えば、あの苦悶の過程はただの儀式だったのかもしれない。しかし、絶対に不可欠だったその儀式に全力で取り組むことで、プロの歌舞伎役者としての本当の出発点に立つことができた。そう巳之助さんは言う。
18歳になって稽古を再開した巳之助さんは、自分でも驚くようなスピードで知識や技術を吸収していった。歌舞伎に向かう気持ちの強さが、それ以前とは比べものにならなかった。自分の意志で決めたことはやり遂げられる。以来、それが彼の仕事の哲学となった。
「自分でやると決めて、自分の気持ちをそこに向かわせれば、どんな大変なことでもやり遂げられる。逆に気持ちが入っていなければ、何も身に付かないし、何も成し遂げられない。今もそう思っています」
大きな役でも小さな役でも、本気になって演じなければならない。そう教えてくれたのは、芝居や踊りの師でもあった父、三津五郎さんだ。小さな役だからといって手を抜いたら、お客さんにも先輩方にも必ず見抜かれる。そうしたら、大きな役は二度ともらえなくなる。三津五郎さんはいつもそう言っていたという。
巳之助の名を一度は捨てることを許し、再び歌舞伎の世界に迎え入れてくれたその父は、昨年、泉下の人となった。26歳という若さで坂東の大名跡を双肩に背負うこととなった巳之助さんは、そのあまりに大きな喪失を、気丈にも「父が成長の機会を与えてくれた」と捉えているという。役者として、坂東家の筆頭として、そして一人の人間として大きく成長する機会を。
人生の終幕に際して「役者をやっていてよかった」と思えることが目標だ。そのはるか遠いゴールに向かって、「自ら選んだ道」を彼は歩き続ける。