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トップ > シゴトの哲学 [Vol.17] パラトライアスロン選手 秦 由加子さん

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  • シゴトの哲学
  • 2020.03.01

[Vol.17] 秦 由加子さん(パラトライアスロン選手)

走るたびに、新しい世界が広がる。嫌だった義足も競技を始めて大好きになりました

写真:秦由加子さん

柔らかさと力強さが共存する笑顔には、太陽の光がよく似合う。

13歳で骨肉腫を患い、大腿(だいたい)部から下の右脚を切断。社会人生活を始めてからも、義足へのコンプレックスは抱えたままだった。

「当時は周囲の視線が気になり、義足を隠したいという気持ちが強かったですね。でも、このまま人生を終えていいのだろうかという想いも抱いていました。何かに挑戦して、自分を変えたい、と──」

その後、3歳から小学4年生まで続けていた水泳なら、夢中になれるのではないかと思い、インターネットで知った『千葉ミラクルズSC』という障がい者の水泳チームの練習に通い始めた。そこで出会った人々は、みんな生き生きと楽しそうに過ごしていた。

「彼らの姿を見て意識が大きく変わりました。そして、水泳に全力で取り組もうと決意したんです。ロンドン2012パラリンピック出場を目標に、練習に明け暮れましたが、その時は力及ばず、出場はかないませんでした」

このまま水泳選手として、4年後の大会を目指すべきか。そんな悩みを抱えていた時期に出合ったのが、トライアスロンだった。

「雑誌の表紙で、パラアスリートのサラ・レイナートセン選手の存在を知りました。健康的に日焼けした姿がかっこよくて、それ以上に、義足を堂々と見せている姿に感動しました。彼女はパラトライアスロンの先駆者的存在。私もサラのようになりたいと思ったんです」

周囲の後押しもあり、パラトライアスロンに転向。リオデジャネイロ2016パラリンピックにパラトライアスロンの日本人選手第1号として出場することを目指し、トレーニングを始めた。

「地面の上を走るのは18年ぶりでした。走った感覚は、とにかく痛い。義足で長距離を走るのは、太ももに激痛を感じるんです。でも、痛みから逃げてやめてしまえば、それで終わり。自分の可能性を広げていくには、頑張るしかない。憧れのサラ選手は、フルマラソンも走り切りますから」

努力が結実し、見事リオデジャネイロ2016パラリンピックに出場を果たすと、6位入賞。今は東京2020パラリンピックでさらに上位を目指すべく、トレーニングに励んでいる。

「5年前に、憧れだったサラ選手にお会いする機会がありました。"あなたを目標にしてきました"と言ったら、"次はあなたがみんなの目標になる番よ"って。東京大会に出場したら、それを実現できるレースをしたいと思っています」

秦 由加子(はた ゆかこ)
1981年、千葉県生まれ。パラトライアスロン女子日本代表(PTS2)。キヤノンマーケティングジャパンに勤務。2007年から水泳を始め、多数の国際大会に出場。13年にトライアスロンへ転向し、リオデジャネイロ2016パラリンピックでは6位入賞を果たした。

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