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創造力のゆくえ

創造力のゆくえ

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写真家・鶴巻育子

クリエイティブは、
撮る前から始まっている

「旅のおともにEOS R8」として、春の山陰へ。
鶴巻育子さんが思考する、クリエイティブとは。
見たいもの、感じたいものをモノクロで描き出した。

モノクロの目で見ながら撮る

山陰を訪れる少し前、沖縄で旅をしていました。次の旅では、行ったことがないけど、行ってみたかった土地を旅したいと思ったのが、この土地を選んだ理由です。沖縄とはまったく違う風土の場所に行ってみたいという気持ちもありました。さらに、山陰といえば生涯アマチュア写真家を貫いた写真家の植田正治さんや塩谷定好さんを思い出します。そんな偉大な先人たちが撮ってきた場所を、自分はどうやって撮れるのか、挑戦という意味でも山陰を撮ってみたいと思いました。

旅をしているあいだは、ずっとモノクロの目で見ていました。ファインダー越しに見えるのは当然カラーだけど、それがモノクロに、写真になった時にどうなるか。モノクロの目で見ると、光と影、あとはフォルムをより意識することになります。写真を始めた時はカラーの現実がフィルムでモノクロになる、というのが当たり前だったので、頭のなかでモノクロに変換する、その頃の感覚や感情が蘇ってきました。たとえデジタルであっても、モノクロで撮ると「写真撮ってる」って感じがしてくるんです。

山陰の光と影

現地に行ってファインダーを覗いた時に、植田正治さんの写真をさらに理解できた気がしました。あの土地の光と影、自然や街の中にあるフォルム、風土とか、風とかを、肌で感じて。そこからあの写真たち、作品ができたのが本当によくわかりました。

まず植田正治美術館を訪れて、インプットから始めました。模倣して撮影してみると面白いのですが、なかなか同じようには撮れない。当然のようにその後はいつもの撮り方にもどってるんです。植田正治さんの写真に影響されているつもりでも、上がり(撮った写真)を見ると自分の写真になってるんですよね。私の山陰が撮れているのはなんだか嬉しかったです。

写真ってシャッターを押すだけなのに、人間性や撮る人の人柄が出てしまうのって本当に不思議です。「個性」という言葉はあまり好きではないのですが。作者を知らない写真に惹かれて作家に会ってみると、すごく素敵な人だったということが本当にありますよね。写真の面白さでもあり、不思議さでもあるな、と感じます。

そんな山陰でいちばん印象に残っているのは、やっぱり日本海。海ですね。山陰はとにかく晴れないと聞いていたのですが、ほぼ1週間いる中で大体晴れ。すごくラッキーでした。光があるとやっぱり気分が上がります。
そんな中で、キラキラした水面がとにかくモノクロとマッチしました。境港や、美保のあたりの風景は、時間を忘れて撮り続けました。

撮る以外の行為がクリエイティブに繋がる

クリエイティブって言った時に、「撮る」以外のことが大事だと思っています。つまり、思考するということですね。自分は何を言いたいか、表現したいか、目で見たもの、撮影したものをどのようにアウトプットしたいか。それがなくて、ものをつくるなんてありえないと思うんですよ。雰囲気で撮って、一見カッコ良い感じで見せるだけでは表現や創造とは言えないかなって。思考の面でのクリエイティブがないと、写真(作品)としてアウトプットできないはず。撮るというのは、あくまでもプロセス。撮った時点では素材でしかない。考えること、感じること。しつこいようですが、その部分でのクリエイティブが大事だと思います。

だからといって、もちろん思考ばかりが重要ではなく、アウトプットまでのプロセス、撮影、画像処理、プリント、額装、レイアウトまですべて大事。どれかが抜けたり適当にやってしまったりすれば、そこでクリエイティブじゃなくなるんじゃないかと思います。作品づくりって簡単じゃない、ということです。

現実そのままが、ドラマになる

スナップを撮る時は、あんまり意気込みすぎないようにしています。直感とか、勘はすごく働かせつつ、信じる、というか。そして粘らない。次々に動きまくる。粘ったからっていい写真は撮れないと思っているから。待って撮った写真は、つくられたものみたいな写真になる気がします。アングルもあまり変えません。ほぼアイレベル。もう、街に世界にそこら中にドラマがあるので、ありのまま撮った方が気持ちいいんです。

本当は、語りたくないこと

撮って、プリントして、展示する。それで終わりじゃない。見た人の反応が出て、そこでようやく終わる。完成させるのは、見た人とも言えるでしょうか。

クリエイティブとは何か。意識して考えたり、行動したりすることはないですね。私に限らず、写真家として活動している人たちは、クリエイティブなことはある意味日常であるから、本当はわざわざ語りたくない。私たち写真家(実際すべての写真家ではないですが)は、日々の生活の中で喜び、そして気づきや疑問、時には怒りなどを感じて、それを写真という形にして伝える。いろいろなものに関心を持ち、それこそ思考することで何かを創造したくなる。だから、写真だけ撮っているのではなく、写真以外に興味を向けることが創造には不可欠なんです。そして、展示や写真集で人に見せた時に、周りが判断する。とにかく、自分であんまり言うものじゃないとは思います。

写真は、見た人が感じるというところが重要で、それには余白が必要だと思います。こうやって見てくださいって説明しすぎる写真だと、見た人の思考も働かない。だから考える余白を残す。残して作らないといけないと思います。決めつけてこう見てくださいっていうのは、つくる方も見る方も思考が広がらなくなって、お互いが創造性を見出せない。写真を撮る方は、気づきだとか疑問とか、そういうものを投げかける立場で。あとは見た人たちそれぞれの答えがあって、クリエイティブが完成するんだと思います。

写真家・鶴巻育子

1972年東京生まれ。写真家、ギャラリスト。これまでに個展を多数開催し精力的に作家活動をしている。2019年東京・目黒に写真専門ギャラリー「Jam Photo Gallery」を設立しディレクターとしても活躍。

写真家・鶴巻育子
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創造力のゆくえ-鶴巻育子編-
https://personal.canon.jp/articles/interview/souzouryoku/tsurumaki
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2023-05-24
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