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食品衛生法によると、清涼飲料水とは乳酸菌飲料や乳製品を除くアルコール1%未満の飲料のこと。戦後急速に発展を遂げ、災害時にはライフラインとしての使命も果たす。瓶から缶、ペットボトルへシフトした容器と共に歩みを振り返る。
清涼飲料水が一つの業界として確立したのは戦後のこと。戦前はラムネやサイダーなどの透明な炭酸飲料が市場を形成していたが、1948年に食品衛生法が施行され「混濁ジュース」※の生産が可能になると商品が多様化していく。原液を輸入し進駐軍に納入されていた「バャリースオレンヂ」(当時、朝日麦酒)が51年、市場に登場。54年には日本初の缶入り飲料「明治天然オレンジジュース」(明治製菓)が誕生した。
一方で、外資系企業のコカ・コーラが本格的な参入をスタートさせた。国内の中小飲料会社は、資本力を生かした販売攻勢や大規模宣伝を危惧し反対運動を展開したが、1961年にコカ・コーラの原料輸入が完全自由化。翌年には「スカッとさわやかコカ・コーラ」のCMがテレビ・ラジオで放送され、全国区に。瓶用自動販売機を導入したり、炭酸飲料として初めて容易に開缶できるプルトップを採用した缶入りコーラ飲料を誕生させるなど、近代化を推し進めるとともに、シェアも拡大した。
60年代を迎えると、経済成長が追い風となり、清涼飲料業界は一つの転換期を迎える。炭酸飲料、果汁飲料、乳性飲料が占めていた市場に、栄養ドリンク「オロナミンCドリンク」(大塚製薬)や缶コーヒーなど新たなカテゴリーが加わる。1969年に登場した世界初の缶コーヒー「UCCコーヒーミルク入り」(UCC上島珈琲)は持ち運べる手軽さから、翌年の大阪万博で広く認知される。ポッカレモン、大同薬品工業、コカ・コーラシステムなどからも発売、ビール系メーカーまでもが缶コーヒーブランドを誕生させ、現在の巨大市場の基盤を形成したのである。
80年代、バブル経済へと向かう中、「ポカリスエット」(大塚製薬)といったスポーツドリンクをはじめ、さらに新たなカテゴリーも創出される。「缶入りウーロン茶」(伊藤園)、「六甲のおいしい水」(当時、ハウス食品)などそれまで無償で飲用していた水やお茶は、「買って飲む」有償飲料に。特にウーロン茶は、当時人気絶頂にあった2人組みのアイドルがテレビ番組の中で、「こんなにスリムなのはウーロン茶を飲んでいるから」と発言したことで憧れの飲み物になり、無糖茶飲料ブームのきっかけとなった。
容器も再利用可能な瓶からワンウェイの缶に移行。さらにサイズが豊富になり、190g缶や350g缶が登場。1977年に日本でしょうゆ容器として使用が始まったペットボトルは82年、食品衛生法の改正により清涼飲料水でも使用可能となった。