写真集制作レポート

第2回SHINESに入選した6名が、写真集の制作過程を振り返ります。コロナ禍という未曾有の危機のなかで得た経験や感情を、写真集でどのように表現したのか。彼らにとっての「写真」とは。2年間にわたる活動の、最終レポートです。

2021.12.28 SHINESを振り返って

SHINES写真集代官山蔦屋書店での販売時期について

第2回SHINESの入選者たちによる写真集の販売は、
6月1日(水)~6月16日(木)に決定しました。
ぜひお立ち寄りください。

※ 今後の詳細はSHINESのSNSにてお伝えいたします。

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[ 夢無子 ]

【コロナ前】
2019年の2月、初めて「SHINES(シャインズ)」を知ったのはミャンマーの難民キャンプにいた頃だった。アートディレクター、CMプロデューサー、様々なジャンルの選考委員が各々一人を選出し、造本家の町口覚さんと写真集を作るんだ! という写真家オーディション。今まで全くコンテストに興味のなかった私が一目惚れした。写真を何かに応募するのも初めてだった。
2020年の3月、6年間ずっと世界を放浪し続けていた私が日本に戻ってきた。㈱玄光社統括編集長川本康さんと代官山 蔦屋書店アートコンシェルジュ江川賀奈予さん2人からトロフィーを渡され、SHINESの写真集を作ることになった。

【コロナ】
2020年4月、緊急事態宣言、Black Lives Matter、香港デモ、世界がオフボタンを失ったモンスターのようにいっぺんに暴れた。コロナという完全未知なものに出会った私たち、三密しちゃいけない、打ち合わせできない、この状況でも写真集作るの?笑。誰も先が見えない、答えがない。それより「世界はどうなる?」「アーティストはこんな時何ができる?」「そもそも地球にとって人間いない方がいいんじゃない?」膨大な解けない質問を抱えていた。
2020年8月、私は北海道のメロン農園に向かった、とりあえず脳より体を動かそう! という自救行為だった。毎日、多くの情報と向き合うより、汗、太陽、植物、風、蝉の声と向き合った。ある日森の中で死んだ鹿と出会った。丸ごと残っていた死体が二日後全部ハエに食べられてキレイに骨だけになり、さらにその三日後、骨すら無くなって、何もなかったかのように有から無、無から有に輪廻した。そのシーンから私の「コロナ」が一気にRainbowカラーになった。悪も善も、美しいのも、汚いのも、全てこの宇宙の輪廻のために必要な栄養だ。それを写真集のテーマにするか?
2020年10月、寒いメロン倉庫で200枚の写真を並べ始め、町口さんに1回目のボールを投げた。

【コロナ後?】
2021年4月、コロナは終わっていないけど、町口さんを誘ってトークイベントをやった。2回目のキャッチボールによって完全に写真集のゴールを失い、ゼロに戻った二人。「お前は写真を撮ってこい! ギリギリまで待つから」
2021年5月、1年間ほぼカメラを触っていない私。日本の南へ向かい旅立った。人間しか撮っていなかった私が完全に人間に興味を失い、写真に不安、揺れ、世界、未知、抜ける、沈む、が表出する。驚くほど写真が変わっていた。
2021年9月、4ヶ月後、800枚の写真を町口さんに送った。一緒に送ったノートには「せっかくコロナと出会った私たち、全世界みんな同じ思いをすること、この時代性を大事にしたい」と書いて。3回目のキャッチボールで私と町口さんが一瞬でハイタッチした。そして写真選び。手塩にかけ、紙、枚数を写真集という箱の中に閉じ込め、漬物のように発酵を始めた。

2021年10月、京都現代美術館のキュレーター梶川由紀さんとコラボしたSHINES写真展の初日。日本の国宝ダンサーと言っても過言ではない、アオイヤマダと銀座のキヤノンギャラリーでシューティングパーフォーマンスをやった。コロナ以来2年ぶりに人間を撮った。
2021年12月、町口さんと発酵させていた写真集もそろそろいい匂いが出てきた。玄光社とさらにコロナ限定の大量な柚子胡椒flavor漬物も発酵して行く予定なので、お楽しみに。

このコロナと真正面に向き合い続けた私たち、どんなSHINESとして完結するか?

2022年、蓋をあけにきてください!

2021.12.5 夜1:55  Visual Artist 夢無子

[ 草彅 裕 ]

「SHINES」を通して最も心を砕いたことは、写真によって培ってきた自身の「コア」を改めて見つめ直し、伝えるために最善を尽くすことでした。その根元を掘り進むと、必然的に私という人間そのものと深く向き合うことになります。機械であるカメラから出現する写真によって、思想の奥底に眠る感情、欲望からも目を背けず自覚し、確信と責任を持って伝えること。その過程で生じる恐れや戸惑い、痛みを乗り越え世界に向き合う写真家の姿勢と能力を、「SHINES」は問い求めているように思います。

写真家オーディションである「SHINES」で写真集を作るためには、一次選考の書類審査、二次選考のポートフォリオ審査、最終選考の公開審査会(プレゼンテーション形式)を通過する必要があり、自分の写真について全力で伝える三度もの機会が与えられます。

それは、通常の写真集を作成する過程とはまた異質の緊張感を含む、とても貴重な経験となりました。私の場合は、「第1回SHINES」で公開審査会に参加することができたので、「第2回SHINES」で梶川由紀さんに選んでいただき入選を果たすまでの二年間、合計六回の「伝える」機会に全力で挑んだ上でのスタートでした。しかし、いざ写真集を作る段階では、「写真があれば伝わるであろう」「各々の解釈に委ねる」という甘えが未だに残っていることを痛感しました。それは、町口覚さんをはじめとするエキスパートの鋭く研ぎ澄まされた感性に触れ、厳しくも強い実感を伴う問いによってのみ得ることのできる、重要な気づきでした。

完成した写真集「PEBBLES」は、生まれ育った故郷の川と海の合流地点である汽水域に流れ着いた小石と、周辺の風景を撮影した写真で構成されています。作品の主題を写真集でしかできない形で提示することはもちろんのこと、手に持つことのできる本として、重量感や手触り、ページをめくる音などが、撮影現場で感じる五感と重なるような写真集ができればと考えておりました。汽水域の空気感、水と小砂が擦れ合う音、砂を踏みしめる感触、足元に転がる小石の先に広がる風景との視点の交差など、私個人の感覚を本によってどこまで表し伝えることができるのか。町口さんからの課題であったマケット作成の際にも悩み抜き、これまで培ってきた写真に対する観念を一度リセットする必要もありました。

試行錯誤の末に作り上げたマケットを町口さんへ送り、それを元に新しく提示されたレイアウトと装丁は、私の理想を遥かに超える形に昇華されていました。また、印刷にも町口さんから紙の提案があり、言葉では表すことができない感覚の深部までを、写真集として最高の形で引き出していただきました。更に、文化人類学者であり様々なアートシーンでも活躍される石倉敏明さんからも、7,000字を超える素晴らしい文章を頂戴し、ロバート・ツェツシェさんによる美しい翻訳が重なり、より一層の魅力と訴求力を得ることができました。

2020年に出版される予定だった「SHINES」の写真集も、新型コロナウイルス感染症の影響によって完成が大幅に遅れ、全ての打ち合わせをオンラインで行うことを余儀なくされました。

初めは不安もありましたが、「SHINES」を担当してくださった皆様のお力添えもあり、結果的にはオンラインである利点を生かし、秋田と東京という物理的な距離に拘束されず、軽快なレスポンスで純粋に写真集の制作に向き合うことができました。

人と人との交流の形が劇的に変化したことにより、「伝える」ことの重要性を改めて見つめ直すべきタイミングで「SHINES」の写真集を完成できたことは、私にとって大きな希望であり指標となりました。今後の目標としては、より多くの人に「PEBBLES」を見てもらえるよう普及版を目指します。そして、いつの日かまた同じメンバーで写真集が作れることを願い、真心を込めて写真に取り組み続けたいと思います。「SHINES」に関わる皆様に、また応援してくださる皆様に心より感謝申し上げます。

[ 本間 真琴 ]

私にとっての写真とは、思い出を振り返ったり、私や周りの人がここにいて何をしていたかという存在証明を語ったりするものに過ぎませんでした。
2019年12月、SHINES選考会で品川さんに選んでいただき、18歳で写真集を作る大切な機会をもらい、それからはどんな写真集を作るか必死に考えましたが答えが見つかりませんでした。そんな中、新型コロナウイルス感染症の影響で制作は延期。延期したおかげで自分の写真への姿勢を見つめ直し、やりたい事を沢山見つけることが出来ました。コロナ禍だからこそ作れた写真集であると言えます。

私の写真集を見てくださった皆様の心が癒えたら嬉しいです。キヤノンさん、町口さん、品川さんには沢山支えていただき、ここまでの完成度にすることができました。たくさんの支えがあってこそできた作品です。
これからも前進し続け、私にしか創ることの出来ないミライを皆さんに伝えたいです。

[ 王 露 ]

自分の作品を発表する場と言えば、今まではコンテストへの応募や展覧会であった。武蔵野美術大学のある授業の中で、当時の担任のGOTO AKI先生が、「審査に通れば作品を写真集として出版できるコンペがあるよ」と、SHINESを勧めてくれた。
SHINESに参加して以来、2年経った今でも、最終審査の日のことははっきりと覚えている。最終審査の会場は映画館のような大きさだったが、私が外国人ということもあり、あまり緊張はしなかった。ファイナリストの16人のうち、6人が入選。私はtwelvebooksの濱中敦史さんに選んでいただいた。結果発表後すぐに、GOTO先生から「おめでとうございます。」というメールが届いた。SHINESに出会う機会を与えてくれたGOTO先生には感謝の気持ちでいっぱいである。

SHINESでは初めてプロの方と長期的なお付き合いをさせていただき、プロとしてどうあるべきかを教えていただいた。町口さんに「プロはそんなことしないよ」とよく指摘されたが、その都度、「こうすればもっと良くなるよ」とアドバイスをくれた。

今回の写真集の考え方も、最初と最後では大きく変わっていった。私はもともと手製本に興味があったので、最初のミーティングでは写真の他にテキストの要素がある自作のダミーブックを町口さんに見せた。彼からは「文字に頼らず、写真の力だけで作ってみないか?」と提案があった。その後、2回目のダミーブックを作ってみたが、結果はまだ満足のいくものではなかった。その時から写真の良し悪しがわからなくなり、どうやって続けていけばいいのかわからなくなってしまった。

そんなとき、町口さんから「全てのデータを整理して送ってほしい」と言われ、結果5,000枚を送った。町口さんと一緒に全てのデータを一枚一枚見ながら、写真ごとにいつ撮られたのかを細かく聞いたり、撮った内容を根気よく聞いたりしてきた。写真を全て見終わったあと、「写真集を作るのが楽しみだ」と町口さんが言ってくれたのは、私にとってとてもモチベーションの上がるできごとだった。その後、さらに時間をかけて、彼はデータの中から200枚を選び出し、マケットを作ってくれた。自分の作品をプロの造本家の目を通して見るのは初めてで、興奮からかちょっとしたトランス状態になっていた。町口さんの作ったレイアウトをじっくり見て、挿入できる作品がないかを選んでいると、町口さんが作ったレイアウトが良すぎて何度もため息が出てしまった。このマケットを見て、最初のミーティングで、彼の「写真の力」という言葉を考え直してみた。

確かに、写真家が自分で写真を組むと、どうしても撮影時の個人的な感情が加わってしまうと思う。特に文化が異なる場合は、写真家が表現したいことを、画像の力だけでどう伝えるかが重要な課題となる。そして、他者の視点こそが、イメージそのものを明らかにするのだろう。町口さんは自分の経験を生かして、写真が語れることを教えてくれた。最後のミーティングで、町口さんに新しく作ったダミーブックを見せたら、「大丈夫。よく頑張ったね」と言ってくれた。そして、ミーティングは終わった。

出版社で出せることを知ったのは、最後の打ち合わせの時だった。町口さんやSHINESを担当してくださったスタッフのみなさん、みんな私のことを気遣ってくれた。私の作品をより良い形で発表できるように、出版社の連絡までも手伝っていただき、心から感謝している。コロナ禍でスケジュールが延期になってしまっていたが、この作品がようやく世に出せるのは、沢山の人のおかげである。

[ 矢島 公雄 ]

SHINES最終選考会にあたり『自分は何故撮るのか』『何故それを撮るのか』『今後どうしていきたいか』の3テーマを考察しました。私は写真によって生計を立ててきたので、命であるとも言える写真ですが、自分と写真の関係についてはとりわけ考えたことはありませんでした。依頼された撮影であれば依頼主が納得すればそこで完了ですが、私が自主的に撮る写真は自身の写真的イマジネーションの研鑽であるので、行き着くところそれは自己満足を求めているということになってしまいます。自己満足というとネガティブな言葉のように思われる方もおられますが、克己心を携えての自己満足は私にとって高嶺の花です。誰しも、その人なりの自己満足をもって生を完結したいのではないでしょうか?

拙いプレゼンではありましたが幸いにしてマーク・ピアソンさんに「あまり見かけない写真を撮る人だ」ということで選出していただき念願の写真集制作が叶えられることになりました。私は作品のオリジナリティーを絶対条件にしているので嬉しい評価でした。

SHINESに入選し写真集を作るということは否が応でも撮影のモチベーションが高まります。そこにコロナ禍のステイホームで主に自宅で撮影している私にとっては、この期間はとても集中できる環境になり撮影に没頭できました。SHINESの写真集制作という動機付けがなければ、新作で写真展が開催できるほどの作品群を撮ることはできなかったと思います。

さて、写真集制作過程ですが、多くの写真を見たいというデザイナーの町口覚さんのご要望で、まずA4~A3ノビの未整理プリントを300枚位提出し、その中から120枚を選別。選別外の写真をあらためて見直し、同一デザインの大、中、小3種類の束見本(ダミーブック)が出来上がりました。それはどなたが見てもお洒落なデザインです。写真の扱いは本のページ枠をカメラのファインダーとみなすようなトリミング、はたまた横長の写真を90度回転して縦長でページに配する等、思いもよらない編集でした。
まず判型(ブックサイズ)を決めることが最初でした。私は大、中、小サイズの中からインパクトが強いというだけで大サイズを希望しました。大サイズで大満足ですが、増刷して多くの方に配布したいのであれば規格サイズ等も検討しなければならないということも後から気づきました。

余談ですが、私が中学校に入学し写真部に入った頃、土門拳さんが当時の炭鉱の町、筑豊の現状を多くの人々に伝えるべく『筑豊の子供達』という写真集をザラ紙(わら半紙)に印刷して安価で販売。のち、10万部のベストセラーとなり土門拳さんはリアリズム写真家を確立されたということを思い出しました。

束見本はとても素晴らしいデザインでしたので、すぐに版下を作っていただこうとも思いましたが、どうしても掲載したい写真や省きたい写真があり町口さんと調整をしました。私の意見も汲み取っていただいて再度作り直した束見本を見た時は、嬉しくて感涙を禁じ得ないほどでした。

写真集の題名は、写真発祥の国フランスに敬意を表しフランス語の私『Je』としました。町口さんも2文字が良いと思っていたそうで、見えない繋がりを感じました。表紙は私の粗放な写真を使用したにもかかわらず洒落っ気たっぷりに出来上がり、少しでも端正な写真集に仕上げたいという町口さんの心意気で花布(はなぎれ)という書籍の装飾まで指示していただきました。
キヤノンオープンギャラリー1にて2021年4月開催のSHINES企画展:矢島公雄写真展で写真集を披露する予定でしたので、写真集『Je』は編集から印刷まで2ヶ月程で制作していただきました。これは編集、印刷、キヤノンスタッフの方々のご尽力の賜物です。
ありがとうございました。

この写真展のタイトル『L’esprit de Kimio Yajima』は写真集『Je』のサブタイトルです。コロナ禍のステイホーム中に撮影した2次元の写真プリントと3次元の立体物のコラージュによる、現実ではおこり得ないちょっと不思議な写真を中心に41点を展示しました。
折から新入学時期の開催でしたので写真専門学校の新1年生が大勢訪れた日がありました、写真展を巡りレポート提出という学校からの課題だそうです。女子学生から『この写真おじぃさんが撮ったの?』「そうですよ、お爺さんが撮ったのですよ」
『ウッソー!』
男子学生からは『どうしたらこの発想が出てくるのですか?』 「作品づくりには要因が沢山あるように思いますが、何がどう作用して発想に至るかは作者でもわかりません」 『あっ、すげーわかりましたァ』
また、「とても刺激になった」というベテランカメラマンもおられ老若男女からの反響が楽しく、こちらも幸せな刺激を受けました。 写真は人に見てもらうコミュニケーションツールでもあるのだな、ということを強く感じ入りました。

これからもより一層真摯に写真に取り組み、生涯写真家現役を目指します。

なお、写真展『L’esprit de Kimio Yajima』は新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言で途中終了した為、2022年1月22日から2月24日までキヤノンオープンギャラリー1にてアンコール写真展を開催します。新作も展示いたしますのでご覧頂ければ幸いです。

矢島公雄写真展「L’esprit de Kimio Yajima」

詳細はこちら

2021年11月 矢島公雄

[ 魏 子涵 ]

2019年のSHINESで、私は町口覚さんに選んでいただき、写真集をつくる権利を得た。SHINESは今まで参加したコンペとは異なり、特別な雰囲気をもっていた。最終選考会の会場は私が予想していたよりもずっと大きかったし、16名のファイナリストの中には年配の方や高校生がいたり、世界中を旅して撮った現地の子どもたちの話や、自分と他者を癒やすためにイラストのような作品があったりするなど、多種多様な人と作品とが一堂に会する場であった。
プレゼンを聞いているうちに、「写真の力」とは何かを理解し始めた。社会問題あるいは、繊細な物事に人が直面するとき、自分の気持ちや脳内から飛び出してきたものなどを最大限に写真という手段で伝える。
小説でもないし、音楽でもない。それを表現できるのは写真しかないのだ。それが写真の「力」だと思う。その力を使いこなすことができる人こそが自らを写真家と名乗れる人なのだろう。

町口さんは自分の気持ちを素直に表現できる人だと思う。私が作ったダミーブックを見せた時、「デザインではなく、写真をもっと見せてほしい。魏さんはとても面白くてユニーク。魏さんの脳みその中を全て見せてほしい」と言われ、私の力を引き出してくれた。写真の選定をしている段階では、私の考えを全て丁寧に聞いてくれ、私の意見を尊重し、多くの選択肢を与えてくれた。
私が学んだことは、写真集を作るには、単に作品を一冊の本にまとめるだけではなく、作家本人と写真、そして物語の全体的なロジックを、他人に最も見やすいペースで見せることが必要だ。
その過程も作品の一部になる。写真集を作る過程で最も感じたことは、自分の写真をよく理解していないと、真摯になれていないということだ。自分のコンテンツにさえ関心がなければ、他の人にうまく伝えることもできない。

そのほか、コロナ禍で状況が厳しくなった中で、写真集制作以外において、町口さんやキヤノンの方たちにいろいろサポートしていただいた。私の作品をより多くの人に見てもらうために、bookshop Mでの写真集の出版や、キヤノンギャラリーでの写真展開催が決定するなど、皆さんに助けていただき心から感謝している。

これからも、真誠(うそ偽りがない)な姿勢で一歩ずつ前に歩き続ける。

魏子涵 ギシカン