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トップ > イノベーション [Vol.6] サイネージ > P1
広告や情報を提供してきたアナログの看板や案内版が、モニターなどの電子的な表示機器を使ったデジタルサイネージへと置き換えられている。
販売促進、エンターテインメントなど、さらなる拡大が期待されるサイネージの変遷を追った。
最もなじみのある屋外広告、看板は古くからあったとされるが、絵が主体の絵看板広告は1899年に登場。三越(当時の三井呉服店)が、新橋の名妓(めいぎ)小ふみをモデルにし日本画家の島崎柳塢(りゅうう)氏に描かせたもので、東京新橋駅待合室に掲げられた。
屋外広告の主流として1950年代からほうろう製の看板が普及していくものの、70年代を境に徐々に姿を消していく。それに代わる形でデジタル版の屋外広告が80年に誕生する。新宿の駅前ビルの壁面に設置された超大型映像モニター「アルタビジョン(当時、ビデオサイン)」である。モニターを使っての情報発信は、デジタルサイネージの先駆けといえるだろう。モノクロではあったが、迫力あるCMやテレビ番組が大画面に映し出され、観光名所にもなった。
90年代には交通機関の広告にもモニターが用いられるようになる。JR東日本がテレビ広告をスタートさせたのは91年のこと。山手線車両11両のうち1両に9インチの液晶テレビ24台を設置し、ニュースや天気予報、JR情報などを文字放送で伝えつつ、合間に30秒のCMを流した。
2000年に入ると、デジタルサイネージは本格的な広告媒体として始動する。起爆剤となったのが、02年にJR東日本が山手線の新型車両に導入した「トレインチャンネル」だ。車内ドア上部右側に運行情報を、左側に「トレインチャンネル」と名付けたCM・天気予報などを伝える画面を設置。CMが人の視界に自然に入り込むよう、乗客が最も知りたい運行情報の隣に並べたのだ。狙い通り2面モニターは大ヒットし、広告収入は右肩上がりに。今や首都圏各線が類似のシステムを導入している。
JR東日本のグループ会社であるジェイアール東日本企画は、駅構内でも液晶薄型モニターを使った新規広告媒体「ステーションチャンネル」を開発。45または65インチの大型モニターを天井からつるし、動画・静止画のコンテンツを高画質で表示した。その後も、混雑する駅構内で視認性を高めるための試行錯誤を続けた。
JR東日本では08年に駅ナカの広告媒体「J・ADビジョン」も開発。東京駅構内の柱に液晶モニターを埋め込んだ日本初の"縦型デジタルサイネージ"の採用だ。常に人が移動している駅構内では広告への接触時間が短い。ここでいかにサイネージ効果を生むか。こうした課題を、柱という複数面を活用して同時放映することで克服。この成功が、品川駅の44面、名古屋駅の100面と、多面化への動きにつながった。