カテゴリーを選択
トップ > 特集 変わる時代、変わらぬ信頼―"長く愛され続ける企業"の条件 > P4
技術革新、グローバル化、人口減少──。かつてない激動の時代を迎えている今日、企業が継続的に成長するのはいよいよ難しくなっている。
この変化の時代にあって、企業が顧客からの変わらぬ信頼を獲得し続けるにはどうすればいいのだろうか。
過去数十年にわたって活動を続けてきた企業の意志や挑戦に、これからの時代に愛され続ける企業のヒントを探る。
日本は「長寿企業大国」である。創業1000年を超える会社の数は計7社。中でも、「世界最古の企業」として知られるのが、まだ飛鳥時代に入る以前、西暦578年に創業した建設会社、金剛組である。聖徳太子の命により、日本最初の官寺であった大阪・四天王寺の建立を行ったのが同社の始まりで、以来、大阪を中心に、神社仏閣の建築、改修などを手掛け続けてきた。
もっとも、その歴史が常に安泰だったわけではない。株式会社になったのは1955年。その後もしばらくは神社仏閣の専門事業者としてのスタンスを保ってきたが、ある時期から事業拡大のため一般建築分野の仕事も手掛けるようになった。しかし、その戦略が災いして業績が急速に悪化することになったのだ。
2000年代に入って会社の存続が危ぶまれるまでに負債を拡大させた金剛組に支援の手を差し伸べたのが、当時、建設業界では難しいといわれていたM&Aを数々成功させていた髙松建設だ。2006年、金剛組は髙松建設が全額出資するグループ企業として再生。同時に、金剛組は、本来の神社仏閣建築の専門家集団に戻ることとなる。
「100人を超える宮大工の存在が、金剛組の最大の資産」と話すのは、現在、金剛組の社長を務める刀根健一さんだ。
「金剛組は今年で創業から1439年となります。その間、宮大工の技術は一度も途切れずに継承されてきました。一つの技術が人から人へ、これほどまで長年にわたって引き継がれてきた例は、少ないのではないでしょうか。旧金剛組の経営が行き詰まった時も、金剛組を離れようとする大工は一人もいなかったと聞いています。それだけ、この技術集団の結び付きは強かったということです」
その人材と技の力を守っていくことは、日本の伝統建築や文化財を守っていくことになる。髙松建設が金剛組に手を差し伸べたのも、そのような技術や伝統建築文化を守りたいと考えたからだった。
金剛組が総合建築グループである髙松建設の一員となり、新しい相乗効果も生まれている。寺社の新築や改築は、基本的に檀家や氏子などからの寄付金によって賄われるため、十分な寄付がなければ建て替えたり維持したりすることはできない。そこで、金剛組と髙松建設では、境内地や所有地をマンション建設などに有効活用をして、その収益で寺社の運営・護寺を資金的に支えるという提案を行っている。
日本では人口が減っているだけでなく、葬式を行わない、墓を持たない人も増えている。しかし、人の心の物理的なよりどころである寺院や神社がなくなることは決してないだろう。「人と技」に支えられた金剛組の歴史は、これからも続いていきそうだ。