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特別対談「人を活かす」栗山英樹さん×坂田正弘

2012年に北海道日本ハムファイターズの監督に就任し個性あふれる選手たちを率いながら、2度のリーグ優勝と1度の日本一へとチームを導いてきた栗山英樹監督。彼が実践してきた、選手たちの個性をプロデュースする方法、そして、強いチームをつくる方法とは? キヤノンマーケティングジャパン代表取締役社長、坂田正弘と語り合った。

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  • 2018.03.01

特別対談「人を活かす」
栗山英樹さん(北海道日本ハムファイターズ 監督)×坂田正弘(キヤノンマーケティングジャパン株式会社 代表取締役社長)

「前例がない」ことが当たり前の時代に

写真: 栗山監督から贈られた記念のピッチャープレートを手に記念撮影する大谷投手 2017年末、米メジャーリーグ行きが決定し、ロサンゼルス・エンゼルスのユニホームを着て会見に臨んだ大谷翔平投手。会見後、栗山監督から贈られた記念のピッチャープレートを手に記念撮影
© 写真:時事通信

坂田

大谷翔平投手の二刀流についても、ぜひお話を聞かせください。最初は球界全体が「ピッチャーとバッターの両立は絶対に無理」という雰囲気でしたよね。監督ご自身は、どんな気持ちで二刀流の方針を貫いてきたのですか。

栗山

僕が何かを貫いたということではなく、ただ信じていただけです。彼の能力を間近で見たら、どちらかに絞ることなどできません。僕だけでなく、どんな監督でもそうだと思います。確かに多くの批判をいただきました。しかし、僕は否定的な意見にも真剣に耳を傾けるようにしました。批判には根拠があります。ならば、その根拠を一つひとつつぶしていけばいいわけです。それに、翔平に愛情を持ってくださっているからこその批判ですから、その気持ちを活かすべきだとも思いました。僕は一流の才能を預かっている身です。批判に対していちいち感情的になっている場合ではありません。

坂田

米メジャーリーグに行ってしまうことは、ファンの皆さんとしては期待と残念な気持ちの両方があると思います。監督ご自身はどんなお気持ちですか。

栗山

彼は高校時代からアメリカに行きたいと言っていました。ドラフトで彼を指名して会いに行った時、僕は「ファイターズに来てくれ」とは一度も言わなかったんです。メジャーに行く夢があることは知っている。でもそれを達成するなら、日本のプロにまずは入って、ある程度の実績を残してから目指した方が絶対にいい。今アメリカに行けば、失敗する確率の方が高い。ただそう伝えました。早い段階でメジャーに送り出すことは、その時点で約束していたんです。翔平が行きたいときが行くタイミングだと思っていましたから、送り出すことに一切迷いはありませんでした。しかし、監督が僕でなければ、もっと早く送り出すことができていたかもしれない。日本でもっといい数字を残せていたかもしれない。ご両親には最後にそう謝りました。約束を守れたことにはほっとしています。ただ、本音を言えば……やっぱり寂しいですよね。

坂田

前例のないことにチャレンジするのは素晴らしいことです。しかし、ことビジネスに関して言えば、前例がないのは、もはや当たり前のことになっています。経済や市場の環境はものすごい勢いで変化していて、私たちはそれに合わせて常に新しいことに取り組まなければならない。したがって、前例などあるはずがないのです。会社員を何年も続けてくると、「昨日やったことを今日もやればいいんだな」という感覚にどうしてもなってしまいます。多くの社員がそうなってしまったら、もう会社の成長はありません。たとえすぐに成果に結び付かなくても、前例のないことに常に取り組む姿勢がなければ未来はないと思います。

栗山

確かに、ビジネスは前例がないことにチャレンジし続けるわけですよね。プロスポーツの世界も、前例がないことが当たり前になっていくべきだと思います。これまでの社長ご自身のチャレンジには、どのようなものがあったのでしょうか。

坂田

私は入社以来ずっと営業畑で仕事をしてきたのですが、30代後半の頃、お客さまに頭を下げて買っていただくのではなく、お客さまから「買いたい」と言っていただくようになりたいと思うようになりました。そのためには、買いたいと思ってもらえる製品やサービスをつくらなければならない。「キヤノンはすごい」と思わせなければならない。そこで、プリンター用の新しいソフトウエアを開発したいと考えました。もちろん自分で開発はできませんから、キヤノン(株)の開発部門に相談したのですが、なかなかうんと言ってもらえない。そこで当時のCTO(最高技術責任者)に直接プレゼンさせてもらいました。「このソフトウエアがあれば、プリンターの売り方が変わります。絶対に必要なものです」と必死に訴えたら、受け入れてもらえました。内心は、「これがうまくいかなかったら大変なことになる」と思っていましたが、結果的にはうまくいって、今ではなくてはならない製品となっています。

栗山

賭けに出て勝ったわけですね。

坂田

まあ、私もずいぶんと生意気だったということです(笑)。

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