カテゴリーを選択
トップ > 特集 ポテンシャルを磨き、新たな魅力を創造する ビジネスのReデザイン > P2
加速度的に進む世の流れの中では、従来の手法でビジネスを続けていても時代に即せず、その成長は止まってしまう。
変わりゆく時代を生き抜くために必要なのは、自らのポテンシャルに磨きをかけること。
そして時代に合った価値や魅力を創造しながら、ビジネスモデルを再構築することである。
過去にとらわれず、柔軟な発想で、今求められているビジネスへとリ・デザイン(再設計)させる達人たちに、その極意を学ぶ。
神奈川県秦野市の老舗旅館「元湯 陣屋」は、バブル崩壊以降の売り上げ減少で、危機的状況にひんしていた。
そこで、古くからの慣習が残る旅館経営に、現代の価値観とIT技術を採用。老舗の良さも生かしつつ、徹底した情報共有を行うことで、スタッフの働き方も含めた改革を行い、見事に経営を再建させた。
都心から電車で約1時間の神奈川県秦野市にある鶴巻温泉に、創業100年の旅館「元湯 陣屋」がある。老舗と呼べる陣屋だが、バブル崩壊後から売り上げは低迷を続け、2009年には社長も急逝してしまう。そんな中で跡を継ぐことになったのが、息子である宮﨑富夫さん・知子さん夫妻だった。
「夫は自動車会社のエンジニア、私はリース会社に勤めており、旅館を継ぐ気はありませんでした。ところが当時女将を務めていた義母まで体調を崩し、夫と決心して継ぐことにしたのです」と、代表取締役で女将も務める宮﨑知子さんは振り返る。しかし、当時は数千万円の赤字経営で、運転資金があと半年でショートするという窮状。経営状態の改善が急務となっていた。
跡を継いで早々、これを改善すべく、宮﨑夫妻は現場を回り各所の業務を分析。そこで気付いたのが"情報が見えない"ことだった。顧客情報は前女将の頭の中にしかなく、原価管理はどんぶり勘定で、パート比率が高い人件費は月末まで総額が分からない。スタッフは予算や実績も知らず、現状への危機感もなかった。
「情報の管理や共有など、一般企業で働いていた夫や私にとって当たり前だったことが、慣習をベースにした働き方が多いこの旅館では、全く行われていなかったのです」
そんな状況で宮﨑夫妻が導き出した答えが、「情報の可視化と活用」と「既存の施設と人材の活用」だった。
前者ではまず、クラウド型の情報管理システム「陣屋コネクト」を開発。これは、予約情報や顧客情報、客室ごとのタイムテーブルといった旅館の運営に必要な情報を一元管理し、タブレットやスマートフォンを通じて、それらの情報をスタッフ間で瞬時に共有できるシステムだ。
「全員が同じ情報を知っていれば、お客さま対応などがスムーズに行えます。情報を持つだけではなく、活用してもらうために、全てのスタッフにライセンスを発行して情報を公開しました」
一方、既存のリソースを生かすという面では、宿泊と日帰りに続く第三の柱として、施設を活用したブライダル事業を開始。これを機に、新たな女性客の獲得を狙った。また、これまで将棋のタイトル戦など、特別な案件でしか使っていなかった貴賓室を、一般の宿泊にも開放。貴賓室担当という新たな役職を設置した。
「旅館業界では、出迎え、夕食出し、布団敷き、朝食出し、見送りというように、業務ごとに異なる担当がいます。しかし貴賓室担当は、これら全ての業務を1人で行います。それにより、既存スタッフのマルチタスク化を図れると考えたのです」
明治時代に天皇をお迎えするためにつくられた貴賓室「松風」は、昭和初期から将棋のタイトル戦の場として使われてきた。
現在では既存のリソースを生かす改革の一つとして、一般客の宿泊も可能に。その結果、旅館全体の客単価のアップにつながった
二つの施策は効果てきめんだった。「陣屋コネクト」で全員が同じ情報を共有できるようになると、スタッフの指示待ちが激減。バックヤードでの業務も効率化され、接客に時間を割けるようになり、宿泊客への細やかなおもてなしが顧客満足度の向上へとつながった。
また、情報共有の徹底は効率化以外の効果ももたらした。従来の旅館では情報がフロントに集約され、そこから指示が出るため、接客、清掃という順にヒエラルキーが形成され、最初に情報を得る者が優越的な立場になる上下関係が生まれていた。しかし、誰もが同じ情報を同時に得られると、次第に組織がフラット化されていった。するとフロントが布団敷きや清掃も自然に行えるようになり、スタッフのマルチタスク化も加速したのだ。
「企業規模を問わず、情報共有による組織のフラット化は重要です。一緒に仕事をするチームや組織であれば、一律に情報を開示しないと、同じスタートラインに立てず、モチベーションも上がりません。情報の開示により、働く意欲も高まり、自主的な取り組みも進みます」
一般企業の価値観と「陣屋コネクト」を駆使した改革の結果、陣屋の売り上げは10年間で倍増した。この成功を受け、陣屋では「陣屋コネクト」の外販を開始。現在は300社以上で導入されている。
だが、各施設の経営改善にはITだけでは限界があると考え、施設の枠を超えた助け合いネットワークサービスを立ち上げた。それが「陣屋EXPO」である。これは「陣屋コネクト」の導入施設同士が連携し、過不足が生じる食材や備品、さらには人材までをも含めたリソースを、必要に応じて交換できるものだ。
「旅館という業態は、同業他社の情報を得にくい部分があります。人材の交換には、異なる現場を経験することで個人のスキルアップを促すと同時に、他の旅館の好事例を学び、それを自社に還元させるという効果も期待できます」
18年末からは、「陣屋コネクト」ユーザー以外でも使えるよう、旅館業組合で「宿屋EXPO」という名称で無料公開する予定だ。今後は自らの再生から始まった改革で、業界全体を盛り上げていく。