カテゴリーを選択
トップ > Cのキセキ Episode.20 「キヤノンマーケティングジャパングループ」 > P4
グローバル企業として世界で幅広い事業を展開しているキヤノングループ。その一員として、日本国内を中心にマーケティング活動やソリューション提案を担ってきたキヤノンマーケティングジャパングループが、創立50年の節目を迎えた。マーケティングの進化と共にその姿を変えてきた50年の足跡を振り返ってみたい。
バブル崩壊という苦しみから始まった90年代だが、「デジタル」と「ネットワーク」技術が進化し、本格的に普及し始めた時期でもある。オフィスではパソコンが主役となり、複写機はデジタル複写機になり、さらにファクシミリやプリンター機能を持った複合機へと変化していく。
そんな時代にキヤノン販売は、顧客にとって最適な業務環境を提案し構築する「システムインテグレーター」への進化を果たしていくことになる。キヤノン製品を核としながらも国内外の優れたハードウエアやソフトウエアを組み合わせ、より広い視野に立って価値あるシステム提案を行う。従来の顧客重視の姿勢をより進化させた形といえるだろう。
一方カメラ事業では、普及型一眼レフカメラの「EOS Kiss」を発売。魅力的な機能や価格、画期的なネーミングと「愛はキスで残す」とうたう宣伝を展開し、子どもを持つ女性など新しい一眼レフユーザー層を生み出した。コンパクトカメラでは「IXY」が登場。スタイリッシュな製品に合わせた「ドレスのように、イクシを着よう」というキャッチコピーを使った宣伝で、若者からの絶大な支持を得た。どちらもマーケティングの力が発揮された代表的な事例といえるだろう。
1990-1999
1990
3月通産省のシステムインテグレーター認定企業となる
11月「カートリッジ回収リサイクルシステム」国内運用を開始
1991
「EOS学園」を開設
1992
6月モノクロデジタル複合機「GP55」(愛称・MEDIO)を発売
1993
9月普及型一眼レフカメラ「EOS Kiss」を発売
1994
2月幕張本社ビル竣工式を挙行
3月世界初のフルカラー自動両面コピーを実現した「CLC800」(愛称・NEW PIXEL DiO)を発売
1995
7月初のデジタル一眼レフカメラ「EOS DCS 3」を発売
9月世界初の一眼レフ用手ブレ補正ズームレンズ「EF75-300mm F4-5.6 IS USM」を発売
1996
1月Jリーグオフィシャルスポンサーとしてキヤノンと共に協賛
5月世界最小APS対応カメラ「IXY」を発売
7月初のコンパクトデジタルカメラ「PowerShot 600」を発売
9月通産省「消費者志向優良企業」の表彰を受ける
1998
5月ヤマト運輸(株)と共同でキヤノン宅配メンテナンスサービスを開始(修理品を宅配便で回収・配達)
1999
10月インクジェットプリンター「BJ F850」(愛称・WonderBJ)を発売