今回、紹介する映画の舞台は1968年のイギリス。ヨットで9カ月間、一度も港に寄らず世界一周を目指すという「単独無寄港世界一周レース」に参加した実在の人物ドナルド・クローハーストの挑戦を映画化したものです。
ビジネスマンでありながらも事業がうまく回らなくなってきていたドナルドは、一世一代の挑戦をしようと名乗りを上げます。
しかし、いざ、大海原に飛び出したものの、ほかの挑戦者たちから後れを取った焦りから虚偽の報告をしてしまい、たった1人船の上で追い詰められていきます。
一見、世界一周を目指した男のロマンを描いた実話に見えなくもないのですが、嘘をキッカケに追い込まれていくサマは事実に基づいているだけに、まさしく波にのまれたような気持ちになり、海水を浴びせられたようにピリッとする刺激となっています。
ふとしたキッカケでついてしまった1つの嘘が主人公の人生を狂わせていきますが、本作の舞台となるイギリスと日本は、どちらも海に囲まれた狭き島国であり、文化や価値観にも共通する点がいくつもあります。
ギャグやコントには自虐的なものが多いので、嘘をついてしまってもそんなセンスを織り込んで言い訳にして引き返すチャンスはいくらでもあったでしょうに……。
なぜ、人は嘘をつくと後戻りできないのでしょうか。1つの回答として、それは真面目だからです。現代社会を生きる我々は、日々立ち止まることが許されません。
学校を卒業したら就職し、結婚し、子供をもち、就職先にもよりますが一定の年齢で決まったポストが用意されていて……。
周りと歩幅を合わせて進まなければ道を踏み外してしまうこともあり、いつのまにかステレオタイプに生きることが人生の前提とされ、なかなか準備されたレール以外を歩む余裕すらなくなります。そして長らく「フミハズサナイことが正しい」という意識の鎖につながれていれば、人間どうしても真面目にしか生きられなくなってしまいます。
そんな人が1度でも嘘をついてしまったら、すでに用意されたレールから降りてしまっているので、ルート修正はなかなか簡単にはできません。
だから、引き返すどころか、さらに自分自身をがんじがらめにしてしまう傾向が強く、いつの間にか、人生の主導権を握るのは自分ではなくなっていたりします。
自分の人生に対する責任感が強いのも立派なことですが、余裕を持つことも大事。管理社会では難しいかもしれませんが、気持ちに余白があればストレスの重圧に打ちのめされることもなく、自分を守って快適に生きることにも通じるでしょう。
「ユーモアのある人だ」「よく冗談を言う人だ」、といった程度のパーソナリティーを持ち合わせていることの重要性も本作からひもとくことができます。
ちなみに、私がこの映画から学んだのは自分の期待値を己自身で上げすぎないことです。
それは理想と現実のギャップから自滅にもつながる恐れがありますし、相手に対しても結果として無責任なことになります。期待させた状況からの失望ほど、ビジネスにおいて印象の悪いことはありません。
また、主人公の挑戦を報道するメディアのあり方も1968年から変化していません。一瞬で話題性のある話に飛びつき、本人だけじゃなく傷ついた家族の心にさえ土足で踏み込む。そういった意味ではイマを感じる作りとなっています。
実際、主人公ドナルドが出港した場所でロケ撮影していることもあり、当時の風を感じることができるのも見どころです。
そして何より、ドナルド役であるオスカー俳優コリン・ファースの演技が素晴らしいのです。
「マンマ・ミーア!」のような娯楽映画から「英国王のスピーチ」のような心震わす実話まで幅広く出演し、最近ではアカデミー作品賞にノミネートされた「ラビング 愛という名前のふたり」などのプロデュース業でも才能を発揮しています。
そんな彼とタッグを組んだジェームズ・マーシュ監督は、昨年(2018年)亡くなられたスティーブン・ホーキング博士を主人公にした「博士と彼女のセオリー」や、ニューヨークのワールドトレードセンターのツインタワーで綱渡りした伝説の男を追ったドキュメンタリー「マン・オン・ワイヤー」を撮影しており、前代未聞の挑戦を描く人間ドラマの名手です。
映画を観るには、誰しもそれぞれの理由があるはずですが、本作はエンターテイメントというよりどちらかといえば教訓を学ぶために存在する映画です。
ときには、こんな奥深い実話に触れてみてはいかがでしょうか?