2019年の第76回ベネチア国際映画祭で、米コミック「バットマン」シリーズに登場する悪役「ジョーカー」を主役にした映画『ジョーカー』が最高賞の金獅子賞に選出されました。
2017年『シェイプ・オブ・ウォーター』、2018年『ROMA/ローマ』と、金獅子賞を獲得した作品はアカデミー賞でも作品賞を始め複数の部門で受賞していますが、本作も各賞レースの最右翼となることは間違いありません。
それにしても、アメコミ作品を元にした本作が金獅子賞に選ばれた事実は、快挙といっていいでしょう。しかし「どのジャンルにも属さない」映画だとも評される本作は、アメコミ原作というイメージからは想像できないかもしれない、ダークで重厚な社会派ドラマでもあるのです。
主人公ジョーカーは「アメコミの好きなヴィラン(悪役)ランキング」で常に首位を争う人気キャラクター。本作はそんなジョーカーがいかにして生まれたかを描く前日譚です。
ジョーカーは、バットマンのように超人的なパワーを持っているわけではありません。また、お金がほしいわけでも権力や地位を望むわけでもありません。ただゴッサムシティというバットマンが存在する街で凶悪な犯罪を繰り返す存在です。
犯行の動機もわからない、謎に包まれた存在。彼の真の目的は、何なのでしょうか。
それは、社会の秩序を壊し、世の中を混沌とさせたいということです。人間が信じているもの、善意や正義をぶっ壊したい。醜い人間が見たい。彼は人間の汚い本性を暴き出したいからこそ、存在しています。
地位や名誉がほしい悪役であれば正義と悪の二元論で語ることができますが、ジョーカーは人間の信じている正義という価値観を根底から揺らがし、動揺・混乱させます。そんな一般的な悪役の範疇を突き抜け、圧倒的な存在感を醸し出すジョーカーは、どのように誕生したのでしょうか。
『ダークナイト』でジョーカーはバットマンに語っています。
「人間が善でいられるのは、奴らを取り巻く環境がいいからさ」
悪のカリスマは、もともとは私達と変わらない普通の人間でした。本作で描かれるのは、人を笑顔にさせたいという理由からコメディアンを目指し、病気の母親をたった1人で看病する、孤独ながらも純粋で優しい男だったジョーカー。なぜ、後にアメコミ史上、いや映画史上、最も恐ろしいといわれるキャラクターにまで変貌を遂げたのか。そこにこそ、本作がえぐりだす現代社会の闇があると言えます。
「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではない。むしろそのことによって見捨てられ、誰からも自分は必要とされていないと感じることである」(マザー・テレサ)
現代社会の無関心さが、一人の男を狂気と悪の世界に追いやる描写は、見ていて胸が張り裂けそうになるほどです。
傷つけられた時ではなく、誰にも相手にされていないとわかった瞬間に人は心の闇にとらわれ、他者に自分の存在を認められない社会ごと拒絶してしまうようになるのではないでしょうか。
これまで、バットマンの映画ではジャック・ニコルソンやヒース・レジャー、ジャレッド・レトらの名優がジョーカー役を好演してきました。
この絶対的なキャラクターを今回演じたのは、ホアキン・フェニックス。私が彼の演技で着目したのは表情。どのような感情を抱いているのか普通の感覚では捉えきれないような、なにか底知れないものを感じさせました。
地球上で最も切ないピエロの笑顔を表現しきったフェニックスは、アカデミー主演男優賞にも値すると私は確信しています。