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ちょっとおいしいビジネスの話 鮨YASUKE 大手町プレイス店 ちょっとおいしいビジネスの話 鮨YASUKE 大手町プレイス店

鮨YASUKE 大手町プレイス店 店舗内観

東京都大田区にあるJR蒲田駅。そこから北西に進んだ住宅街の入り口に、8席のみの小さな鮨(すし)屋がある。「蒲田 初音鮨」。明治から125年続く老舗だが、とりたてて華やかな歴史を持っているわけではない。しかし職人肌の生真面目な親方が店を引き継いで、現在は四代目。都心からも横浜からも近くはない店のロケーションながら、毎日、引きも切らずにグルメたちがやってくる。

その理由は、客を楽しませようとする心遣いに加え、江戸前の作法を完璧に踏襲しながらも、現代における漁法や保存技術を背景に、新たな鮨を生み出していることにある。都心から外れた個人経営の鮨店で、これほどの料理に出会えることを、事前の知識なしに想像できる人はいないだろう。

世界的な日本食ブームの影響もあり、世界一といわれる高品質の魚介が流通する豊洲市場では、その前の築地市場の時代も含め、ここ3〜4年で大幅に高品位素材の価格が高騰してきた。背景には中国での鮨ブームがあるが、それだけではない。

シンガポール、香港、バンコク、上海、ロンドン、ニューヨーク、サンフランシスコ。さまざまな都市で、本物の江戸前鮨を求める声が大きくなり、「おまかせ」が一人前で700〜1000ドルという高額な設定にもかかわらず、毎日、鮨店のカウンターが埋まっているのだ。

こうした傾向が希少な高品位素材を高値で買い付ける海外バイヤーの扱い量増加を促し、それにともなって国内の鮨店の仕入れ価格も高騰している。著名店の多くは一人前が3万円を超え、銀座の一流店ともなれば4万円を超えることすらある。

そんな中で、一流の鮨職人からも尊敬を集める初音鮨と提携し、一流店の「顧客を楽しませる」技術を、味と演出の両面から大衆向け回転鮨に取り入れようとしているチェーン店がある。産直素材にこだわったグルメ鮨の元祖として株式上場も果たしている「すし銚子丸」だ。

鮨YASUKE 大手町プレイス店 店舗内観

「お客を楽しませる」こと
で大ブレーク

初音鮨 接客写真

蒲田という街は、戦前から高度成長期まで、昭和の発展を陰で支えてきた街だ。かつては映画の都として栄えたこともあったが、都心と横浜の間に挟まれたこの場所は、住宅地と中小の工場が混在する、ややうらぶれた雰囲気があった。現在でこそあたらしいマンションが建ち並ぶが、そこに銀座の名店に引けを取らない……いや、予約の困難さと顧客満足において、他に並ぶ店がないとも食通や鮨職人に噂されてきたのが、冒頭で紹介した初音鮨だ。

都心から外れたこの場所で、店に決められた時間に一斉に席に並びたいと考える人は限られると思うだろうが、この店はある出来事を境に「特別なお店」となった。それはこの店の四代目親方である中治勝さんの妻であり、初音鮨の女将である中治みえ子さんが41歳の若さで末期の乳がんを患ったことがきっかけだった。

跡取りがいなかった中治さんは、みえ子さんがお店を続けられなくなったなら、長年続いた店をたたもうと決意し「きょうが最後の舞台」と心に決めて毎日の営業に挑んだ。

「きょうが最後なら、ネタを惜しむこともない。禁じ手と思えるような“仕事”をネタに施すこともいとわない。お客が喜ぶこと、美味(おい)しくなると思えること。そのすべてを試していこう」と、代々続く江戸前の手法、ノウハウを注ぎ込みながらも、現代的なあたらしい鮨の開発に挑んだ。

そうした創意工夫、より良い素材を集める熱意を通じ、たった二人だけで掃除・仕入れ・仕込みまでをこなす店にもかかわらず、ミシュラン東京ガイドが東京都大田区を対象として以来、11年連続で二つ星掲載される店となった。

以前の初音鮨は、ひとり1万5000円という破格の値段だった。

蒲田という土地柄にしては非常に高価だという意味で破格であるが、一方で全国から集まる希少素材を完璧に使いこなし、すべてのネタに適切な仕事を施しているという意味でも破格、すなわち格安である。

絶対的な価格としては高価ではあるものの、そこから得られる体験の価値としては、誰もが納得する、いや支払った以上の価値を受けとったと満足する鮨だった。しかし、だからといって初音鮨が「流行(はや)ることはなかった」。

現在は4万5000円まで価格が上がった(しかし店の利幅は薄い)初音鮨だが、それでも予約困難。これほどの人気を集めるようになったのは、最高の鮨を求めるだけでなく、食事の場を最高の空間にしようと、雰囲気はもちろん、調理から握り、提供するまでのプロセスを「魅せる」よう、全体の流れを損なわずに演出するようになったからだ。

「思い出に」と、お客には写真や動画の撮影まで許可し、積極的に客とともに楽しみながら食事を提供する。親方と女将、それに客が一体化した初音鮨の唯一無二の価値。それが認められたのは、他では味わえない鮨の味だけではなく、エンターテインメントとしての完成度が高まったからに他ならない。

初音鮨 接客写真

唯一無二の価値を認められた
「名店復活」をサポート

初音鮨 店舗内観

しかし、そんな中治夫妻に再びの不幸が訪れる。

13年が経過し、寛解宣言も受けていたみえ子さんの骨の多くにがんが転移。さらに検査を進めると、肺にも転移していることがわかった。

それまでがんを隠して営業を続けてきた二人だが、1年以上先まで埋まったお客たちにがんの再発を告知し、長期の療養期間へと入った。2018年3月のことだ。

しかしそれから8カ月後。がんの治療を続けながら、初音鮨は19年11月末に復活を果たした。かつてのように、女将が動けるわけではない。しかし、夫妻の娘とともに、銚子丸から幹部候補生が3人ずつ、研修生として店を手伝うことで営業を継続することになったのだ。

その背景には、それまで積み上げてきた初音鮨の伝統と技を、より多くの人たちに伝えたいという中治夫妻の思いがあったが、銚子丸側にも「顧客価値を高めるにはどうすればいいか」という創業以来、積み重ねてきた工夫をさらに発展させる糸口を見つけるための挑戦でもあった。

銚子丸が初音鮨と関わるようになったのは、現在は常務取締役営業本部長の堀地元氏が、銚子丸のレベル底上げを模索するため、さまざまなミシュラン掲載店を食べ歩いていた頃に遡る。都心から外れた場所にある初音鮨で、驚くほど顧客本位の、しかも他では味わえないような鮨に感嘆。以来、若手の鮨職人を誘っては「半分は俺が出してやる」とポケットマネーをはたき、月に一度はカウンター8席のみの店を貸し切りにして勉強させてきた。

休業前までに堀地氏が連れてきた職人は400人にのぼったという。その心意気に触れ、中治夫妻は自分たちが持つノウハウを惜しげもなく披露してきた。大衆向けの回転鮨と、日本一・世界一を目指しひたすらに高みを目指す高級鮨。それぞれ目指す方向は異なるが、信頼関係で結ばれた二者だからこそ可能な提携だったといえる。

初音鮨 店舗内観

食をエンターテインメント
へと引き上げるために

鮨YASUKE 料理

もっとも、堀地氏は「初音鮨と同様の希少素材を用い、一貫ずつ丁寧に細かな仕事をした鮨を回転鮨で提供することはできない」と、当然ながらわかっている。それでも初音鮨と提携した理由を「美味しさを引き出すためのさまざまな工夫、温度の管理ひとつとっても、どこまでお客のために努力をしているのか。『最高の鮨』を提供するために、大切な食材をどう扱っているか。その心遣いと『お客たちが心から満足し、笑顔を見せる幸せの空間』を共有することで、料理人としての歓びを心に刻んでほしい」からだと話す。

食は生きていくために必要なものであるとともに、エンターテインメントでもある。それぞれの職人が職場へと初音鮨での経験を持ち帰ることで、91店舗ある「すし銚子丸」から新たなエンターテインメントを生み出そうというのだ。

さらに、銚子丸には初音鮨に“インスパイア”された業態がある。それが2018年12月に東京・大手町のオフィスビルにオープンした「鮨YASUKE」だ。

本物の江戸前鮨をリーズナブルに提供したい。そんな思いを込め、カウンターを中心にした“回らない”鮨店舗としてオープンした同店は、初音鮨が休業を迎える直前、2018年2月に中治勝さんから研修を受け、そのアドバイスを盛り込んでいるという。

ディナーの「おまかせコース」は6000円、ランチタイムには1000円からのメニューもある。食事としての鮨ではなく、娯楽としての鮨を提供したい。鮨YASUKEには、確かに蒲田 初音鮨の魂が息づいていた。

【2019年3月作成】
鮨YASUKE 料理
店舗内観02

鮨YASUKE 大手町プレイス店

東京都千代田区大手町2-3-1 大手町プレイスウエストタワー1F
03-6262-1234
●ランチ 11:00~15:00(ラストオーダー14:30)
●ディナー 17:00~22:00(ラストオーダー21:00)
●休業日:日曜・祝日・年末年始
http://sushiyasuke.tokyo/

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