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本田雅一が選ぶ いましりたい ニューストレンド 第15回 インテル独占状態のCPU市場に異変。アップルが全面採用した「Arm」 本田雅一が選ぶ いましりたい ニューストレンド 第15回 インテル独占状態のCPU市場に異変。アップルが全面採用した「Arm」

少し前、2020年6月のことになりますが、アップルは今後2年をかけて、Macに搭載するSoC(CPUやGPUなどを統合したシステムLSI)をインテル製から自社製に切り替えていくと発表しました。SoCとは、ある装置やシステムの動作に必要な機能のすべてを、ひとつの半導体チップに実装する方式のことで、SoCは「System-on-a-Chip」の略です。

この話はとても技術的ではあるものの、その核となる話を突き詰めていくと、そこには戦略的な意図も読み取れます。難しく困難な戦略を選択している背景には、メガトレンドともいうべき大きなイノベーションのうねりがあると言えるでしょう。今回はパソコンなどの根幹部分に関わる製品に関するお話です。

※LSIとは、Large Scale Integrated Circuit(大規模集積回路)の略称。

アップルが自社開発したチップで
Armに切り替え

Mac

アップルが自社開発するSoCは、英Armがライセンスする命令セットを元に独自開発したCPUコアを中心に、GPUやNeural Engine(アップルが開発した機械学習処理向けプロセッサ)などを統合し、Mac専用に設計されたものになります。

古くからパソコンに親しんでいる技術に詳しい読者なら「それは大変だ!」と思うことでしょう。なぜならインテルが開発するCPUは、「パソコンの基本部品」とも言えるほどの根幹を成す部品だからです。ライバルのAMDが供給するCPUも、基本的にはインテルと同じソフトウェアが動作するように作られています。ところが、Armの場合はインテル向けに開発されたソフトウェアが、そのままでは動作しません。インテルからArmに切り替えるということは、これまでのMac向けのソフトウェアを基礎部分から再構築せねばならないことを意味しています。

スマートフォンやタブレットといった携帯端末の世界では標準となっているArmですが、このところ携帯端末以外への採用例が広がっています。

Windowsを開発するマイクロソフトもArmに目をつけており、スマートフォン向けSoC最大手のクアルコムと共同開発したCPUを自社製パソコンで採用。WindowsをわざわざインテルからArmに移植して話題となりました。
さらに今年、世界一のスーパーコンピュータとなった理化学研究所と富士通が開発した「富岳」もCPU部分にはArmを用いています。

これは決して偶然ではなく、Armが流行するのにはそれなりの理由があるのです。

今さら聞けない「Arm」って
何のこと?

CPU

そもそもArmとは何なのでしょうか?

ArmはAdvanced RISC Machineの頭文字を取ったものです。RISCとは単純命令セットのこと。反意語としてCISC(複雑命令セット)があり、コンピュータを設計する上で、命令セットの設計はその性質を決めるものとなります。

インテルが提供しているCPUはCISCを採用。ひとつの命令で行える処理が多いものの、命令を処理するためのプロセスは複雑になります。コンピュータが進化する過程で、単純な命令を数多くこなす方が有利ではないかという研究がなされ、現在ではRISCが処理プロセッサの主流となっています。

インテル製プロセッサもその例には漏れず、内部はRISCと同様の動作が行われます。複雑な命令をあらかじめ単純命令に変換して溜めておいて実行するように改めたからです。

しかし、複雑な命令を分解し、処理が高速になるよう並べ替えて実行するには、それなりに複雑な事前準備が必要となります。

インテル製や互換プロセッサの消費電力が大きくなりがちなのは、複雑命令セットを単純命令セットにし、並べ替えて効率よく処理するための仕組みなど、RISCのプロセッサでは不要な仕組みが常に動作していなければなりません。

小さな電力で長時間動作する必要がある携帯端末でインテルが使われず、Armが主流になっているのは、このような背景がありますが、近年はパソコンやサーバなどでも消費電力あたりの性能が重視されるようになってきました。

マイクロソフトがArm対応のWindowsを開発し、自社製パソコンに搭載したのも、数年後までを見越しての先行投資、あるいは準備とも言えるでしょう。

自由に新しいコンピュータを
組み立てられるのもArmの長所

CPUとコンピューター

もっともRISCという考え方で作られたCPUは他にもたくさんあります。では、なぜArmが主流になったのか? という疑問が生まれてきます。

RISCプロセッサは数多く存在していましたが、Armにはユニークな点がありました。それはArmという会社が「CPUそのものを生産、販売する」のではなく、「命令セットやArm命令を実行できる回路設計をライセンス販売する」という事業スタイルを取っていたことです。

Armを用いた製品を開発するにはいくつかの方法がありますが、一般的なのはArm社がライセンスする回路設計を用いて、さまざまなLSIの中に組み込んでいくというもの。もうひとつは「アーキテクチャ・ライセンス」と呼ばれるライセンスで、命令セットと回路のライセンスを受けるだけではなく、処理回路を自由に設計変更し、性能や機能を強化するライセンス手法もあるのです。

スーパーコンピュータ「富岳」でArmを採用したのは、こうした設計自由度の高さが決め手でしたが、実はアップルもアーキテクチャ・ライセンスを取得して、スマートフォン業界のライバルとは全く異なる方向での開発を続けてきました。

アップルが初めて独自SoCを開発したのは、iPadやiPhone4に採用した「A5」というプロセッサ。それ以来、世代を重ねて昨年はA13 Bionic、おそらく今年はA14という名称を冠するプロセッサを出してくるでしょう。その数は総計で20億個を超えています。

アップルのSoCが内蔵するCPUは、Armを独自に改良したものですが、他社が4つの高性能コアを用いてハイエンドのスマートフォン向けとするところを、2つの高性能コアで同等以上に仕上げるなど、単一コアの処理性能を重視した設計になっていました。

アップルはiPad Proなどパソコン並みの高性能タブレットでその性能を活かしていましたが、Macを自社SoCに移行する計画があって、他社設計のものよりも処理能力が高いコア設計としていたのでしょう。

Armの柔軟なライセンスのもとでは、さまざまなレベルで改良を加え、自由にコンピュータの設計を行える。アップルはSoCの開発を積み重ねる中で、Macを置き換えられるところまで改良を積み重ねてきたわけです。

独自設計SoCでセキュリティと
プライバシーを完璧に

Macとセキュリティ

自社SoCとすることの利点には、性能や機能を自社でコントロールできることがあります。

例えばiPhoneやiPadのSoCには、Neural Engineというニューラルネットワーク処理(AI的なアプローチの処理)を行う専用プロセッサや、メディア処理を行うGPU、イメージ処理に特化したISPといったプロセッサが内包されています。これらはいずれもアップル独自の設計で、Armプロセッサと協調動作するよう設計されています。

製品の直接的な魅力を高めるという目的では、これらの特徴を活かして、端末の機能や性能へと活かしていくという考え方があります。省電力性能でも優位であるため、ノート型の端末もバッテリ駆動時間が大幅に伸びるでしょう。

Armを採用したマイクロソフトのSurface Pro Xでも、バッテリ駆動時間の長さが魅力となっています。おそらくArm搭載Macも同様の恩恵を受けるでしょうが、性能面でもノート型のように限られたサイズの中に収める場合は、インテルよりも高性能になる可能性が高いでしょう。

しかし、おそらくアップルがArm採用において最も重視しているのは、セキュリティとプライバシーに関する部分ではないかと予想しています。アップルはMacにT2プロセッサという専用設計のチップを搭載し、記憶装置など外部との通信・接続のインターフェイスにしてきました。macOSが起動するプロセスもT2が管理し、データの暗号化もT2が行います。

こうした構造になっている理由は「パソコン」という、80年代から脈々と受け継がれてきた構造がもつセキュリティ問題をT2で包み込むことで、第三者の盗難などからデータを守る目的があると考えられているからです。

SoCのレベルからパーソナルコンピュータを再構築することで、Mac上で扱う情報のセキュリティ、プライバシーを完璧にコントロールするのであれば、インテルとの互換性を維持するよりも大きな価値があると言えるでしょう。

スマートフォン、タブレット、パソコン。仕事をする上でも、生活の中でも重要なこれらデバイスの安全性を見直す中で、最も手を入れにくい(言い換えれば古い構造の)パソコンを、スマートフォンやタブレットと同じ領域に引き寄せる——。

アップルの試みは、Windowsを搭載するパソコンにも中期的に広がっていく可能性があるでしょう。

【2020年7月作成】
本田 雅一(ほんだ まさかず)

本田 雅一(ほんだ まさかず)

フリージャーナリスト・コラムニスト

テクノロジジャーナリスト、オーディオ&ビジュアル評論家、商品企画・開発コンサルタント。
技術を起点に経済的、社会的に変化していく様子に着目し、書籍、トレンドレポート、評論、コラムなどを執筆。

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